夢の話

誰かにとっての有益な話でなければならないと言ったのは誰だろうか(誰でもない)。

 

よく自分は昔の記憶を息苦しい悪夢のように捉えている。ことがある。

何もかもが上手くいっていなかったわけではないだろうが、人生の選択を周りの数倍は違えていたように感じている。これは今でも感じているけれどあのころはそれを喫緊で治すべくある課題として感じていたのだから息苦しい。

 

理想の生活像があったのだろう。そしてなんか、屁理屈でもこねれば変わるのだろうとどこかで思っていたに違いない。視野が少しづつ広がり、周りが見えていくにつれてなんとも言えない諦めのようなものが広がっていくのを感じた。この文脈からして夢から覚めていったのだろう。決して焦りや不安は感じなかった。地に足がついていくような、イメージの中の自分と実際の行動が一致するような感覚を少しづつ覚えていけたのは心地よかった。

 

理想論者なので、出来てなくても語ってしまう理想は誰にとっての薬にもならなくてよく現実を見ろよと言われるわけであるが、夢の中で壁を壊そうとしても現実普通の壁は壊せないものだ。今でも抜けない癖のひとつだけど、意識から意志に変えられるようであれば、一筋だけでも光明が差してくれるのかもしれない。

まだ夢の中。