自分の土俵を理解できない話
たまには自分を振り返ってみようとやっていることを思い出すも、どうにもいい記憶が出てこない。
自己肯定感の低さがどうのだとか、隣の青い芝生に思うところがあるとか、そんな話が掘れば掘るほど当てはまる。すごい。気分が沈んだ。
おそらくどこかにその人が人一倍努力しているポイントがあるはずなのだが、いかんせん目線が厳しすぎると何も当てはまらない。生きてて偉い。
「自分が戦っていたい土俵」と自分が今いる土俵が違うことがままあるので、プラスの欲求が働いている方に目がいくのは至極自然な話である。
思考回路が整っている状態もしくは人というのをこの話題のレールに載せるとなると
「自分の置かれている状況・環境(土俵)を理解し、素直に向き合っている人もしくは状態」
になるんじゃなかろうかと、文献も資料も何も参考にせず思ったことを書き連ねている。
1人で結論が出ている議論を終わらせたところで、行動が伴っていない目標に成果も伴わず。文字数だけが無駄に過ぎていった時間をドライに記録してくれる。
隣の芝生は青いし、それはいつまで経っても自分のものにはならない。求めてないものこそ本当に必要なもの。理想論で飯が食いたい。
結局のところ、自分の土俵を理解するのは難しいので、変に冷めているふりをしている思考回路を嘲笑うべく、すんごいドライな文字列を眺めて、そっと、閉じる。
ご覧いただきありがとうございます。ポエマーになりたくない()
自分を顧みると鬱になりますよね。ならない人はこのブログを読んでいません(暴論)
振り返りの仕方が上手い人は何事も次に繋がるように振り返られるので、ある種の天才です。偉い。美味しいものでも食べて寝ましょう。それか無心でなにかに没頭してください。